一子相伝の技法で洗練される冬の甘味
大和百目の枯露柿
手塚 貴光 作
「大和百目の枯露柿」は、手塚家5世代により磨き上げられた芸術品とも言える干し柿です。
大正7年に大和百目の木を見出したことに始まり、100年に渡り木を育て、高糖度で大粒の実をつけさせます。
そして、代々受け継がれる製法で、その極上の甘さを凝縮させるのです。
枯露柿の飴色に輝く果肉は、自然の作用と人の知恵が作り出す至高の一品です。
手塚家が継承する、
樹齢100年の大木
「大和百目」
手塚氏の枯露柿は「大和百目柿」で作られます。
大正7年に、2代目の光彰氏が現在の園地に50本の苗木を植えたことが始まりです。
大和百目は、山梨を代表する大型柿「甲州百目」にならび称される品種。
甲州百目の枝変わりと言われ、種が少なく、果肉がなめらかで食感も色も良好、甲州百目よりも実が大きいのが特徴です。
現在の当主、5代目の貴光氏は、「柿自体の品質を高めることが、極上の枯露柿つくりには欠かせない。」と言います。
もみ殻、茶殻、柿の皮を用いた自家製の堆肥で土をつくり、剪定の高い技術が、大きいものだと500gにもなる大玉の果実を無事に実らせます。
手塚氏の畑には、樹齢百年にもなる大和百目が今も残されています。
2代目が見出した原木を代々守り、枯露柿の味を継承していく使命があるのです。
一子相伝の枯露柿づくり
枯露柿作りは、立秋のころ「大和百目」の手摘みから始まります。
樹上で糖度20度以上に熟した「適熟果」を収穫し、1玉1玉皮を剥き、柿のヘタに紐を結び付け、竹棒に吊るしていきます。干し上げるまでの全ての工程が手作業です。
吊るし作業が完了すると、すぐに酸化防止のための硫黄燻蒸を施します。
その後、室内の火力乾燥機でおよそ1週間かけ水分を飛ばし、さらに屋内で2〜3週間ほどかけてじっくりと乾燥させます。
貴光氏に聞くと、「火力乾燥は、3代目光司が完成させた製法、火力乾燥から自然乾燥に移していい柿の状態を見極めるのは私にしかできない」とのこと。兄弟も知らない一子相伝の技術が秘められているのです。
取材に伺った際も、工程の一部は記録することが許されませんでした。
樹を育て、収穫したときに
全ては始まる
貴光氏は、干し始めから仕上がりまでの約1ヶ月の間、できる限り手を加えません。
通常、枯露柿をつくる場合、乾燥させながら手もみをし、果肉の水分や硬さを調整するのですが、貴光氏は、手で触れることはせず柿の干し上がりを決めていきます。
その後、専用の木箱で1週間寝かせ、柿の表面に「こう」というブドウ糖の結晶がにじみ出てきたら完成です。
貴光氏は、「収穫や皮を剥く際の手触りで干し上がりのイメージができる」と言います。
この見極めの技術と徹底した管理が美しい枯露柿を生み出すのです。
どんな高級和菓子でも
敵わないのではないか
干し柿は、高糖度の柿を乾燥させた甘いだけの菓子ではありません。
また、繊細で儚い和菓子とも異なります。
甘味が溢れる現代でも、「干し柿」が変わらず求められるのは、自然の力と人の知恵の結晶であるからこその美味しさを秘めているからです。
手塚家の「枯露柿」は、水分がほどよく抜け、硬く歯切れの良い独特の食感、凝縮された柿の風味に、一口ごとに満たされるような密度の高い甘さがあります。
代々受け継がれる「枯露柿」は、年初めの大切な方への贈り物として最適の一品です。