獅子島の池元航
卸売市場での経験が、生産者としての自分を目覚めさせる
2015年、池元さんと知り合った当時は、彼は築地市場の桃や柑橘を扱うセリ人でした。
我々と同じ市場の中にいた、毎日仲卸や先輩達に揉まれている若手の一人です。
当時から、若手でありながら様々な地域の農作物へのアンテナを高く持ち、仕事や私生活を通じて繋がった生産者を我々にもよく紹介してくれました。
築地市場には様々な商品が入荷しますが、ほとんどはすでに生産が拡大し、農業経営的にも軌道にのっているものです。しかし、その横で様々なニッチな商材も売り買いされています。市場内には「こだわり農産物」というコーナーがあり、そこには全国からこれぞといわれる農作物が集まります。
「世の中には凄い生産者がいる」
20代の彼は衝撃を受けます。それは農作物の品質のレベルだけではなく、
商品のブランディングの仕方や発信力、さらには生き方さえもかっこいい、プロの農業経営者の存在にです。
「自分もこの凄い生産者と同じステージで勝負したい」そして26歳のときに市場を離れ、鹿児島の獅子島に戻り、生産者としての第一歩がスタートします。
獅子島に戻り「しらぬひ」に勝負をかける
獅子島に戻ると、いくつかの課題が見えてきました。
池元一家は、代々地元の共選場を束ねる共選場長を担ってきました。共選場長の役割は、島内の生産物をとりまとめ島外に販売するルートを作ること。池元さんも幼少の頃からいつか獅子島に戻ったら島の皆のために尽くすのだと、何となく意識をしていました。
獅子島の農業の中心は「紅甘夏」という、歴史ある昔ながらの柑橘です。紅甘夏は作るのは比較的に簡単なのですが、酸味と皮のむきづらさから近年の他の柑橘に押され取引金額の水準は低くなっています。
高齢化したこの島では閉塞感があり、新しい柑橘にチャレンジする気概がありませんでした。20年前、デコポン(品種名しらぬひ)が熊本で人気となった時に獅子島にも苗が入りました。しかし、しらぬひの栽培は生産技術がいることもあり、特に力を入れる事もなく、ほぼ放置されているような状態でした。
市場セリ人だからこそ確立した極上しらぬひを作る技術
池元さんはここに目をつけます。
池元農園にもしらぬひの木はあり、その中に島の中でも最高の畑に植えられているものがありました。これをしっかり作れば、獅子島を代表する柑橘になるかもしれない。就農1年目から、しらぬひの栽培を始めます。
池元さんは、最高のしらぬひを作る技術を模索して、市場時代のつてをたどり様々な生産者に教えを乞います。新旧を問わず、柑橘以外の果物や野菜の技術も取り入れ、ミックスした池元流の栽培方法を確立させます。市場のセリ人だったからこそできた栽培方法かもしれません。
糖度を目指す先にある「うまみ」を引き出す挑戦
さらに、この糖酸のバランスとは別に、不思議な美味しさがあるしらぬひがあります。
それには「うまみ」があるのです。
この「うまみ」とは、恐らくアミノ酸だと考えています。トマトなどはアミノ酸の1つのグルタミン酸がとても濃く、それがトマトの美味しさの理由の1つです。他にも豆類などアミノ酸の濃い青果物は結構あります。それと同じことがしらぬひでもあるではないかと、池元さんは考えています。
簡単に数値化するのができない「うまみ」は、舌で味わって確かめます。このうまみを引き出すのが難しい。お手本となるものが無いのです。彼方にある理想の味わいを目指して、彼の挑戦は続きます。