1.5倍のうまみを持つ、
野性的なきのこ
能登半島地震で生き残った
「奇跡のぶなしめじ」
能登半島地震で被災した株式会社ミスズライフ能登工場。
280万本もの培養中のぶなしめじの瓶が倒壊しました。
そのまま放置された菌糸瓶を試験的に育てたところ、
通常よりも大きく野性的で1.5倍のうまみ成分を誇るぶなしめじが生まれました!
284万瓶のぶなしめじが被害に
株式会社ミスズライフ・能登工場
2024年1月1日に発生した能登半島地震により、株式会社ミスズライフの能登工場は大きな被害を受けました。元旦は基本的には休みで、出勤していたのは工場を点検する当番の3名だけでした。
16時過ぎ、彼らが工場内の業務を終えて事務所で作業をしている時、最大震度7の巨大地震がこの地を襲いました。幸い、事務所内にいたため従業員に被害はありませんでしたが、タイミングが違っていれば工場内にいた可能性もあり、人的被害が発生していたかもしれません。
この時に工場で育てられていたぶなしめじは、一次培養室には43万本、二次培養室には167万本、芽出し室には31万本、生育室には35万本、詰め場には8万本、合計284万本が育成中でした。
1月4日には本部から幹部社員が現地視察に訪れ、1月8日には本部からの応援も加わり、本格的な片付け作業が始まりました。
1週間以上、通常の管理が行えなかった工場で、ぶなしめじはほぼ放置された状態になっていました。284万本すべてを廃棄する覚悟を決めていました。一次培養室、生育室、芽出し室、詰め場の計117万本はすべて廃棄しました。しかし、二次培養室にあった167万本のぶなしめじの中には、倒壊を免れたものもありました。
培養期間なんと3倍!
未知数のぶなしめじの栽培に挑む
本社のある長野で、これらの一部を試験的に栽培してみたところ、形状にばらつきはあるものの、無事に芽が出てきました。通常、二次培養期間は70日ほどですが、この時点で180日以上経過しており、実際に商品化できるかは未知数でした。
成長したぶなしめじは、大小さまざまで、エリンギのように大きなものから通常サイズまでまばらです。しかし、味は非常に良く、意外な結果となりました。
そして7か月以上経過した7月26日、この奇跡的に生き残ったぶなしめじの栽培が本格的に開始されました。すでに、210日も培養されたぶなしめじの栽培は、工場長の田中覚さんにとっても初めての挑戦で、試行錯誤の中でのスタートとなりました。
人気急上昇のぶなしめじ
ぶなしめじは1970年頃、大手酒造メーカーが栽培に成功し、1972年に長野県下伊那地方で本格的な人工栽培が始まりました。きのこ類の栽培は、天然に近い原木栽培が長らく行われていましたが、この頃におがこを使用した菌床栽培へと移行し、これにより生産量が急増しました。
少なくとも江戸時代には人工栽培が行われていた「しいたけ」は、長らく栽培きのこの王者でしたが、1990年頃、おがこを使った「えのき」が生産量で「しいたけ」を抜き、その後も王者として君臨しています。
さらに、えのきに続いて栽培が始まった「ぶなしめじ」は、鍋料理や炒めものに最適で、生産量も急激に増え、令和4年にはえのきに並ぶほどの人気となりました。
きのこ栽培では、味だけでなく経済効率も求められます。どんなにおいしくても、高価なきのこは消費者に受け入れられません。そのために導き出されたぶなしめじの培養期間は70日でした。
この70日間の培養が、今回は210日以上になってしまいました。しかも温度・湿度管理もされていません。さてどうなるか?
うまみ成分が1.5倍に!まさに奇跡。
210日以上かけて培養されたこの「奇跡のぶなしめじ」は、長期培養の成果か、うまみ成分であるグルタミン酸やアラニンが通常の1.5倍に増加しました。(長野県工業技術総合センターの計測)
しかもエリンギ並みの大きさに成長し、全体的に力強さを増し、まるで野生に戻ったかのような逞しいぶなしめじとなりました。
「こんな力強い味のぶなしめじができるのは、もう二度とないでしょう」と田中工場長は笑って話します。「経済性を考えなければ、こんなぶなしめじを提供したいですね」。
被災地支援の思いだけでなく、このおいしい長期培養のぶなしめじを食文化として紹介したいという想いから、期間限定で販売が決定しました。
この「奇跡のぶなしめじ」は9月末までの期間限定販売です。こんなきのこは二度と手に入らないです!