世の中から姿を消して70余年、
江戸っ子が常食していた味噌が現代に復活。
東京江戸味噌
広尾本店
江戸味噌
※注:江戸の味噌といえば東京都地域特産品認証食品に認定されている“江戸甘味噌”がありますが、東京江戸味噌の「江戸味噌」は配合・成分などが異なります。
江戸味噌とは?
その名の通り“江戸生まれの味噌”です。
江戸時代から昭和初期まで東京の味噌需要の6割を占めていた味噌で、白味噌・仙台味噌・田舎味噌(麦味噌)・八丁味噌とともに「5大味噌」として知られていました。
しかし明治期半ばから徐々に衰退し、関東大震災で東京の味噌醸造所の70%が焼失。さらに太平洋戦争下の統制令での製造禁止により世の中から姿を消しました。
偶然見つけた昭和初期の文献
江戸の味を現代に繋いだ
河村浩之
かつては河村浩之社長も、江戸庶民が常食していたのは父(先代の河村守泰氏)が蘇らせた江戸甘味噌だと考えていました。
「江戸味噌」の存在を知ったのは2013年。東京の味噌について改めて勉強し直そうと、偶然見つけた昭和初期の文献をあたってみたところ「江戸味噌」の記述を発見。しかし原料の配合や成分が江戸甘味噌とは異なるものでした。それどころか江戸甘味噌の記述自体がなかったのです。
その後、様々な文献を紐解き「江戸甘味噌は、江戸味噌というジャンルの中に含まれる」という結論に達しました。
醸造法や原料は同じですが、米麹を大豆の2倍近く使う甘さの強い江戸甘味噌は、江戸味噌のなかの最上級品だったのです。
河村社長は、江戸時代の庶民が常食していた味噌を後世に伝えるため、江戸味噌を作ることを決意し、試行錯誤の末、2014年に「江戸味噌」を復活させました。
一般の辛口味噌、江戸甘味噌、
江戸味噌の違い
江戸味噌の成り立ち
かつて「味噌買う家には蔵が立たぬ」という諺がありました。当時の味噌は自家醸造が一般的だったからです。しかし、江戸時代の庶民にとっての味噌は買うものでした。人口増と慢性的な土地不足で家が狭く、味噌を作って保存しておく余裕のない江戸では、味噌を自製するのが難しかったのです。
一方、江戸には毎朝味噌汁を飲む習慣があり、味噌は大量に消費されていました。
初めの頃は、様々な味噌が各地方から持ち込まれましたが、徐々に江戸内の醸造家によって造られるようになります。
醸造家にとっても、大量の味噌をじっくり発酵させる従来の味噌作りには江戸の住宅事情は不向きでした。
そのため、江戸味噌は短期間で作られるようになります。塩を減らし、蒸した大豆の温度が高いうちに、多量の米麹を加え混ぜ、発酵を一気に進めること約2週間〜20日、夏であれば10日で味噌が出来上がります。雑菌の繁殖を抑えながら、短期間で良質の味噌を造る、極めて合理的かつ洗練された技術です。ただしこうして出来た味噌は、長期保存ができません。
そこで、江戸の街にはいたるところに小規模の味噌醸造元が出来ました。およそ170軒。庶民には、味噌を近くの味噌屋で毎日少量ずつ買い、すぐに消費するというスタイルが定着しました。
徴税が年貢で行われたように、米とお金がイコールだった江戸時代。たっぷりの米麹を使い、当時の高度な醸造技術を使って短期間でつくる江戸味噌は、非常に贅沢な都会の味噌でした。富の集中する世界有数の巨大都市で大量消費されたからこそ、庶民でもこのような贅沢な味噌を常食することができたのです。
江戸味噌の特徴
味噌に対して「長熟=高級」というイメージは戦後に定着した価値観です。戦前までは、江戸味噌のような米麹が多い短期熟成の味噌こそが上等とされていました。
長期熟成の味噌は、もちろん美味しいのですが、熟成が長くなるにつれてアルコール発酵が進み、味噌の香りと個性の強さが際立ってきます。そのため用途が和食に限定されがちです。
フレッシュな江戸味噌にはいわゆる「味噌の香り」がなく、素材の味を邪魔しません。幅広い料理への汎用性をもち、和洋混ざり合った現代の日本の食にあって、極めて使い勝手の良い味噌と言えます。
江戸味噌は製造の際に大豆を煮ずに蒸します。煮汁への大豆成分の流出が少なく、大豆由来の深い味わいが残っているのも江戸味噌の魅力です。
様々な料理でお使いください