年明けみかんの一大産地として名をはせる
静岡三ヶ日の代表品種
青島みかん
特大サイズにして
味の濃いみかんです
三ヶ日は、この品種で全国的に有名になったと言っても過言ではありません。
是非、“これぞ三ヶ日みかん”という味わいを今年も楽しんでください。
三ヶ日みかん、ブランドの真髄
・温暖な気候と、水はけの良い土壌は柑橘栽培の適地
・京浜と中京のど真ん中に位置する絶好の流通条件
・遠州人の積極果敢な気質
気候と交通の要所に
位置する土地
年間通じて暖かく、みかん栽培に適した年間降雨量、滅多に降ることがない雪、柑橘栽培に適した三ヶ日の気候です。浜名湖の北岸に広がる南向き穏やかな傾斜地は、日照に恵まれ水はけがよく、作業効率がいいのが三ヶ日の強みです。
首都圏と中京圏の巨大消費地の真ん中に位置する、流通条件でも他産地に対して優位性を発揮します。 販売力があり、ビジネスとして確立された柑橘栽培を続けられたからこそ、三ヶ日は持続的な投資が可能となり、長年、日本有数の産地として発展してこれたのです。
最先端の技術導入・
販売努力こそ、
三ヶ日柑橘の原動力
三百年の歴史
三大恩人を祀る三ヶ日
三ヶ日の柑橘畑を見下ろす高台の途中に 大きな石碑があります。
そこには三人の偉人が刻まれています。様々な苦難の歴史とともに、多くの先人が三ケ日の礎を築きました。
今から三百年ほど前に和歌山那智から紀 州みかん苗木を持ち帰った山田弥右衛門。
二百年ほど前に三河から温州みかんの苗木を持ち帰った加藤権兵衛。
昭和初期に、施肥・防除・剪定などの栽培技術を農家に広めた中川宗太郎。
この三氏は三ヶ日みかんの三大恩人と呼ばれ、今でも人々の尊敬を集めています。
戦後、いち早くブランド化に
取り組んだ三ヶ日
戦争中の統制解除後、三ヶ日のみかん販売は揺れに揺れました。新しい市場開拓を試みる組合出荷販売と個人販売がぶつかり合い、その混乱は昭和36年まで続きました。昭和36年、出荷組合の捨て身の一手「東京出荷』が大成功を収めたことで、出荷組合つぶしの 動きは沈静化し、その後は出荷組合を中心に、ブランディング作戦と品質向上策を矢継ぎ早に打ち出し、現在の三ヶ日の高い評価が定着することになったのです。