大きな粒に、甘く濃い果汁が
パツパツに詰まった
ニューピオーネ
大房に限定してお届け!
存分にお楽しみください
「大粒」「甘さ」に
魅せられた農家が
次々ピオーネに転換!
当時、それほどの
インパクトがあった
もともとは巨峰とカノンホールマスカットの交配種「井川210号」が山梨県で“パイオニア”として栽培されたのがピオーネのはじまりです。品種登録する際にイタリア語の「開拓者」を由来とする現在のピオーネ(pione)と改名されました。
そんなピオーネが岡山県で最初に栽培されたのは、昭和42(1967)年頃。
当時はキャンベル・アーリーやベーリーAといった中粒のぶどうの栽培が主流でした。
そこに登場したピオーネは当時人気のあった”巨峰”よりも粒が大きい!甘い!とその可能性に魅せられた多くの農家がピオーネに転換しました。
晴れの国おかやま県が改良
「さらに大粒」
「種なしで食べやすい」
“ニューピオーネ”
明治時代に日本で定着し始めた生食ブドウ栽培。なかでも岡山県は雨が少なく、温暖な気候でぶどう栽培に最適だったことから130年以上の長い歴史を持ちます。
年月に裏付けられたその高い技術で岡山県は日本で初めてピオーネの無核化(種なし)に成功します。種を無くし食べやすくしただけでなく、さらに大粒につくられたので今までよりも食味に優れたピオーネとして
「ニューピオーネ」と呼ばれ、愛されるようになりました。
現在、岡山県はニューピオーネの生産量、全国1位を誇ります。
岡山で作るニューピオーネは
なぜおいしいのか?
良質な生食ぶどうを育てるための条件の1つとして“雨が少ない”ことが挙げられます。ぶどうは生育期間中に雨が多いと、病害を引き起こしやすく、過度に水分を得てしまうと、果実よりも樹体の成長ばかりがすすみ実りが不十分になります。
大房限定でお届けします!
大きな粒に溢れんばかりの甘く濃い果汁が“パツパツ”に詰まったニューピオーネが大きな房で届いたときの幸せたるや・・・粒そのまま頬張ると皮離れが良いのでぶりんと果肉が飛び出し、どっと果汁が溢れます。(予想外で喉が溺れる!)
種もないのでそのまま飲み込んでしまう勢いです。
これを思う存分味わっていただきたいので、約600g(※なんと下限の目安)という
「大房」に限定してお届けします。期待していてください
ただ、大きくすれば
いい話ではない!
「一粒一粒が濃い大房」
ぶどうを大房に作ること自体は実はそこまで難しくはありません。選定をせずに放置すればいいのです。
しかし、野放しに大きくすると粒数が増え、一粒一粒に養分がいきわたらず、結果味が薄くなります。粒数を制限しながら大きな房を作るこれが難しい技術なのです。
剪定・摘粒が最大のポイントで実が米粒ほど小さな段階から最終のプロポーションを想像し、何度もはさみを入れています。「一粒の味わいが濃い大房」というのは農家さんの技術があってこそなのです。
津山を産地として
盛り上げることが
広くニューピオーネを
届けることに繋がる
ニューピオーネがピオーネに取って代わったように近年、シャインマスカットの爆発的な人気とその収益性の高さから多くのぶどう農家が、シャインマスカットへ転換しています。
そんな中、津山は岡山県で唯一作付け面積が増えている地区です。
県内では比較的後発の産地ですが、中北に位置することから昼夜の寒暖差があり〝綺麗に着色した黒ブドウが育つ”と市場関係者からの評判も上々。ベテラン農家が新規就農者をむかえる体制も整い生産技術を高め合っています。
JA晴れの国 岡山中央ぶどう部会、部会長を務める 角野与さんはもともとは新規就農者として23年前に新潟県から津山にやってきました。
当時から高品質なぶどうを作る岡山県では各農家さんが競うように良いものを作る、個の力が強い雰囲気がありました。
しかし、それだけでは分断的で必要なノウハウやぶどうづくりの"酸いも甘いも” が共有されず、産地としての脆さ、を感じたといいます。
自分が迎え入れてもらえたように、新規就農者に伝えられることは惜しげもなく共有、新しくニューピオーネづくりを始める人のために圃場を整える活動も現在行っています。
このように津山を産地として盛り上げ、シーズン通して全体で良いニューピオーネを市場出荷することが全国の方に広くピオーネを楽しんでもらえることに繋がる といいます。
とっても素敵な産地、津山のニューピオーネ!ぜひ手にとっていただきたいです。